答えにくいテーマのご質問、ありがとうございます。
自殺される方もそれぞれ状況が全くことなるため、一概に判断するのは難しいですね。
ということで、例えば英語の場合、どういうかを見てみましょう。
He committed suicide.
彼は自殺をした。という翻訳となりますが、committedという言葉がキモです。
これは罪を犯すという意味になるので直訳すると、
彼は自殺という罪を犯した。
という言い方になります。
つまり英語ベースで考えればそれは罪。
キリスト教的な考え方がベースなのかな?と思います。
仏教ではどうか?
釈迦は10のルールを定めますが、その1つ目が不殺生戒、つまり生き物を故意に殺してはならないというルールがあります。
これが自殺の場合はどうなるのか?
さらに実際にある修行僧の自殺の話が出てきます。
彼は心は悟りを開くが、体が病気になってしまい、肉体に耐え難い苦痛がありました。
このままでは修行も続けられないと自殺をしてしまいます。
これが不殺生戒に当たるのかというのを釈迦に問うた弟子たち。
それに対して釈迦は、
涅槃に入られた
とだけ答えます。
涅槃、永遠の悟り、悟りの境地に入ったということ。
仏教で求める最後のゴールがここです。
ただし生きている間に修行したからということなのか、細かいところまでの指摘はありません。
キリスト教の考えでは自殺は罪ですが、仏教では必ずしも罪とはならないという考えになります。
なら仏教徒なら自殺していいのかというとそういうことではありません。
釈迦が言いたかったのはおそらく、
やるべきことをすべてやり、いずれくる死を待つのみの状態。
その中で肉体に耐え難い苦しみがあり、このままでは周りにも迷惑をかけてしまう。
自分で片付けるべきことをすべて片付けて、残された人に迷惑をかけない場合の自殺は罪とはみなさない。
ということなのではないでしょうか?
質問者さん、もしあなたが何らかの理由で自殺を考えている場合、上記の修行僧のようにやるべきことをすべてやりおえているのでしょうか?
あなたが自殺を選ぶことで周りに迷惑をかけたりすることはありませんか?
医療技術も進み、修行僧の時代とはだいぶ状況が異なります。
もう一度、そこを考えて笑みてはいかがでしょうか?
死ぬなというのは簡単なこと。
でもあなたの状況を知らずに言うのは無責任すぎます。
なので私は肯定も否定もしません。
ただ、釈迦の言葉をもう一度、じっくりと噛み締めていただきたいと思います。
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